ハンバーガーメニュー
閉じる
morizane study morizane study

歴史を知る

歴史を知る 歴史を知る

江戸から続く内剛外柔の姿勢

社章のいわれ 社章のいわれ

「水は方円の器に随い、人は善悪の友による」
水は容器の形によって丸にも四角にもなる。
人も交友環境の感化によって善にも悪にもなる。
この言葉をもとに、角を丸で囲んで
「内剛外柔」を表現したのが社章の形です。
社会や時代という外環境(器)によって
しなやかに変化しながら、
核となる確固たる信念を
持ち続けている当社の姿勢を体現しています。

デザイン

創業期 創業期

はじまりの前の話

はじまりの前の話

はじまりの前の話

明治26年、川之江で始めた廻船問屋「森實回漕店」が、記録上の当社の創業です。
けれども実は、江戸時代から、森実の歴史は始まっていました。
時は幕末、森實家3代目当主が塩田業を興し、できた塩を大阪で売ろうと船を出しました。
当時はまだ漁船ばかりだった中、商船の運航は斬新なアイデアでした。

アイコン
別子の発展とともに

別子の発展とともに

別子の発展とともに

【提供 別子銅山記念館】

江戸時代に、住友が開拓した新居浜の別子銅山は、明治・大正期も近代化とともに発展を続け、大量の銅製品を大型船で運ぶようになりました。この新居浜の発展をうけ、大正3年5月、「森實回漕店」は新居浜に本店を移し、「森實組」に改名、構内運搬・港湾運送・海上輸送などの海陸運送事業を開始しました。

アイコン
デザイン

成長期 成長期

海を歩いて渡れた頃があった?!

海を歩いて渡れた頃
があった?!

海を歩いて渡れた頃があった?!

戦後の経済復興期、「森實組」は新居浜内港(現在の本社北側)に多数の艀(はしけ:港湾内を航行する貨物の運搬船)を所有していました。20艭以上の「森羅(しんら)」と名付けられた艀が並び、その上を歩いて沖の桟橋まで渡れたそうです。
艀で働く「沖仲仕(おきなかし)」たちは、新居浜港沖の大型本船からモロッコのリン鉱石を艀に積みかえ、港へ持ち帰っていました。

アイコン
必要なものは自前で

必要なものは自前で

必要なものは自前で

昭和4年、グループ会社の第一号「新居浜商事株式会社」(現:新居浜シェル石油株式会社)を設立。入手困難になった船の燃料調達を開始。昭和21年設立の「友愛産業株式会社」(現:森実商事株式会社)は、船の運航に必要な質の良い道工具やロープを自前調達。保険業も開始し、船の塗装から船員の散髪用ハサミ・クシまで、必要なら何でもそろえます。
こんな調子で次々に増え、平成8年にはグループ会社は8社になりました。

アイコン
戦前には海外支店も

戦前には海外支店も

戦前には海外支店も

【提供 愛媛県総合科学博物館】

大正3年、第一次世界大戦の大戦景気で、日本では海運業や造船業が急成⾧。「森實組」も木造船に加え大型鉄鋼船の新造も開始。船の運航が増えると修繕も増え、自前で修繕をと昭和12年に「新居浜鐵工所」を開業。さらに、若松(現:北九州営業所)・大阪(現:大阪営業所)に出張所を開設し、事業拡大を図りました。
また、終戦まで韓国の木浦と中国の上海にも支店を構えていました。

アイコン
デザイン

安定期 安定期

本社ビル建設と事業躍進の強化

本社ビル建設と
事業躍進の強化

本社ビル建設と事業躍進の強化

昭和43年、現在の場所に本社ビルを建設し、管理体制の充実とともに事業躍進の強化。翌年から昭和50年までに内航運送業・内航運送取扱業免許、通関業免許(神戸税関区)、いかだ運送業免許とさまざまな事業免許を取得。
船舶代理店は昭和50年代に坂出、波方に出張所を開設し、昭和57年には沖縄航路代理店業務も開始。海運業を拡大しました。

アイコン
レクリエーションでコミュニケーション!

レクリエーションで
コミュニケーション!

レクリエーションでコミュニケーション!

昭和47年、「日本列島改造論」で全国が沸き返ります。以降数年、当社も受注量に比例して社員数が増え続け、特に工業用ミシンを使う作業やそろばんの集計では女性たちが大活躍。レクリエーション活動も盛んで、運動会やソフトボール、マラソン、ボーリングなどの社内大会が多数開催されました。文化系でも、お花や着付け教室、将棋や囲碁の大会など、親交が深まる時代でした。

アイコン
「森実運輸は家も運びます」?!

「森実運輸は
家も運びます」?!

「森実運輸は家も運びます」?!

残念ながら写真以外の記録には残っていませんが、昭和の後期、西条営業所(現:ひうち営業所)では「家運び」もしていたそうです。
建築物をそのままの形で移動させる「曳家(ひきや)」という工法があるのですが、どうやらそのことのようです。

アイコン
架橋などの現場も当社のフィールド

架橋などの現場も
当社のフィールド

架橋などの現場も当社のフィールド

昭和から平成になる頃には、橋梁工事や河川工事などの大型工事に携わり、四国の交通インフラ整備に貢献しました。
当時、当社機工課(現:業務課)の移動式クレーンはとても充実しており、その車両台数と最大荷重は四国最大級でした。各地の大規模な工事現場で大活躍しました。

アイコン
デザイン

第二成長期 第二成長期

パイオニア精神で成功を掴む

パイオニア精神で
成功を掴む

パイオニア精神で成功を掴む

平成に入り、四国でいち早くプッシュプルリフト(*1)を導入した当社は、コンテナバンニングの省力化と効率化を実現しました。それまでの人手による積み込みと比較し、一日の荷役数量が飛躍的に増加しました。
当時NHKの物流を題材にした番組でも紹介されました。
(*1)プッシュプルリフト:薄いシートを使って「押す」「引く」動作で荷役ができるフォークリフト

アイコン
平成の大躍進

平成の大躍進

平成の大躍進

【提供 新居浜市】

平成期には新部門の開拓が続きます。
03年 倉庫業
08年 レストラン運営
11年 産業廃棄物収集運搬業
14年 通関業免許(大阪税関区)
15年 石炭海上輸送
18年 大阪堺市でケミカルローリー
    輸送・外航船オペレーション業務
22年 一般建設業許可取得
ざっと列挙しただけでもこの通り。世の中の変化とチャンスを見逃さず、新事業に積極的に取り組む姿勢はいまも変わりません。

アイコン